松本明子さんの実家じまい!25年かけて処分した先に見えた幸せとは!?
「実家を相続したものの、空き家になってしまっている。どうしたらいいのだろう?」
「実家を処分したいが家財も残っているし、何から手付けていいかわからない」
実家を相続した人の中には、そうした悩みを抱いている方も多いことでしょう。
実家でなくとも、活用しない空き家を所有している方は多かれ少なかれ、「空き家をどうしよう」という悩みを抱えていることと思います。
弊社AlbaLink(アルバリンク)は訳あり物件専門の不動産買取業者として上場し、年間5000件以上のお問い合わせをいただき、空き家所有者からたくさんの感謝の声をいただいております。
そんな中、今回AlbaLinkはタレントの松本明子さんにインタビューを行いました。
松本明子さんも空き家となった実家の処分に苦労された経験を持つからです。
今回、松本明子さんには実家を相続することになった経緯から、空き家となった実家を処分するまでの顛末を赤裸々に語っていただきました。
ぜひ最後までお読みください。
空き家で悩むすべての人へ贈る「松本明子×AlbaLink」
河田
初めまして。
株式会社AlbaLink代表の河田といいます。
本日は、松本さんが空き家のご実家を処分をされた際のお話をお聞かせいただければと思います。
松本さん
なんでも聞いてください。
河田
ありがとうございます。
弊社は空き家をはじめとする訳あり物件専門の不動産買取業者なのですが、年間5000件ほど物件に関する問い合わせがあり、その大半が空き家の相談なんです。
松本さんがご実家の整理をされたご経験は、そうした空き家で困っている方の力になると感じております。
松本さん
ありがたいです。
河田
空き家で悩んでいる方のお気持ちは松本さんが一番わかっていらっしゃると思いますので、ご自身の苦労した点などを詳しく教えていただければと思います。
よろしくお願いします。
松本さん
わかりました、お願いします。
託された「こだわり」の実家。のしかかる管理費という「重荷」
松本さんのご実家は高松にあり、お父様がこだわりを持って建てられた一軒家だったようです。
そんなお父様のこだわりが詰まった実家を託された松本さんを待ち受けていたのは「管理費」という予想外の出費でした。
松本さんのご実家はお父様こだわりの「純和風 総檜の平屋」
河田
早速ですが、ご実家は高松とお聞きしましたが、どのようなご実家だったのでしょうか?
松本さん
実家は市内から8キロぐらい離れた徳島寄りの新興住宅街にありました。
山の中腹に戸建てが集まっているようなところで、そこに土地を見つけて注文住宅で家を建てました。
6部屋あってキッチンがあったから6DKみたいな感じです。
河田
なるほど。
松本さんはずっとその実家で暮らしていたのでしょうか?
松本さん
いえ、わたしは高松市内で生まれたのですが、幼いころは借家を3軒ほど転々としました。
その後、昭和47年、わたしが6歳の時に今お伝えした土地に父が家を建てたんです。
河田
そうだったんですね。6部屋というとだいぶ広いですよね?
松本さん
坪数で100坪弱の、純和風、総檜の平屋です。
父が宮大工さんにお願いして、神社を建てる時と同じ手法で釘を一本も使わず建てたようです。
石の階段を作ったり、庭石を置いたりして、父親がこだわって楽しみながら作った家でした。
河田
お父様の想いがこもっている感じがしますね。
松本さん
はい、わたしはその家に中学卒業まで住み、卒業後は「どうしても芸能界入りたい」という夢を諦めきれず、上京しました。
高校生の時にデビューしたんですけど、デビューして10年ぐらいは仕事があまりありませんでした。
ただ、デビューしてちょうど10年経った27歳ぐらいの時に『電波少年』などの番組に出させていただけるようになりました。
一人娘だったこともあり、両親からは「一緒に住みたい」とずっと言われていました。
少しテレビにも出て、やっと親孝行できるかなということで、両親を東京に呼び寄せて都内の賃貸アパートで一緒に暮らし始めました。
「実家を頼む」ずしりと響いたお父様の遺言
松本さん
ただ、両親を東京に呼び寄せたので、実家が空き家になってしまったんです。
それが1993年くらいのことです。
河田
空き家になったあと、ご実家の管理はどうされていたんでしょうか?
松本さん
しばらくは両親も年に2~3回、高松に帰って換気や掃除をしたり、庭木をいじったりしていました。
ただ、高齢になるにつれ帰る頻度も少なくなり、父親から管理を託されました。
河田
東京から四国だと、すぐに行ける距離ではないですもんね
松本さん
そうなんです。
遠いので、飛行機でも直前にチケットを取ると往復7万円くらいかかりますから、交通費もバカにならないんですよ。
河田
そうですよね。
弊社に空き家となった実家の買取を依頼されるお客様の中にも、物理的に実家が遠く管理しきれないという方が多くいらっしゃいます。
松本さん
そうした依頼は代わりに見に行かれたり?
河田
はい、弊社は現在全国に支店が10数ヶ所あるので、お客様が現地に行けない場合は家の鍵を預かり、弊社のスタッフが確認しに行きます。
各支店から車で1~2時間で行ける範囲は極力見に行くようにしています。
長期間管理がされていない場合、建物の状態が悪くなっていることもあるので、現地を確認して、家の状況を説明し、買取の条件などを相談させていただきます。
ちなみに、松本さんのご実家が空き家だった期間はどのくらいだったんですか?
松本さん
通算25年です。
河田
25年!
それは通い続けるだけでも大変ですね。
松本さん
そうなんですよ。
25年間、結局、家族の中では誰も実家をどうするかっていう話題にならず、ただ漠然と残しておこうみたいな感じできてしまって。
ただ、父親も東京に出てきた頃はまだ若かったので、老後は夫婦でまた高松に住もうと考えていたと思うんです。
それともう一つは、「浮き沈みの激しい芸能界だから娘のために実家残しておけば、何かの役に立つんじゃないか」といった想いもあった気がします。
そういう感じでしたので、もう家の家財道具も生活道具もそのまんまの状態でした。
河田
その状態で相続されたと?
松本さん
はい、相続に関しては父親が公正役場に手続きをしてくれていて、私には10歳上の兄が一人いるんですけれど、実家は妹の明子に託すというのもちゃんと作ってくれていました。
なので、「長男は売りたいけれど、次男は受け継ぎたい」とか、兄弟で相続で揉めるケースもあると思うんですが、そうしたことはありませんでした。
河田
弊社にも相続で揉めて相談に来る方も多いです。
松本さん
ただ、父親が東京で癌を患って私が37の時に他界するんですけれど、亡くなる前に、気になっていたんでしょうね、自分の小さくても我が城というようなお家を。
「実家を頼む」っていう言葉を残して他界したものですから、それがずっしり肩に重かったですね。
河田
それを言われちゃうと、そうですよね。
松本さん
遺言でした、それが。
託された実家の管理費は25年間で1000万円
河田
25年間、ご実家を管理されて、かかった費用はどのくらいだったのでしょうか?
松本さん
全部込み込みで、1年に40万ぐらいかかって、それが25年なので約1000万ですね。
河田
1000万!具体的にどういったところに費用がかかりましたか?
松本さん
実は最初はあまり気にせず、「東京の生活を節約すればなんとかいけるかな」っていう、どんぶり勘定だったんですけど、振り返るとまず「固定資産税」ですね。
あと、ボヤなんかを出して隣り近所に迷惑かけたらダメだということで、火災保険と地震保険も等級の一番高いものに加入していました。
それから、こういう仕事柄、夜遅く実家に到着してもすぐ電気がついて、掃除ができるようにっていうことで、水道・電気・光熱費も払いっぱなしでした。
ただ、ガスはプロパンガスだったので、長期離れる時は危ないので止めていました。
河田
なるほど
松本さん
それから、香川県の方から「お庭のことでご近所の方から苦情の電話が入ってます」という連絡がきたことがあって。
庭木の枝がお隣りの敷地に伸びっぱなしになってしまっていて、とても危ない思いをさせてしまっていたようです。
それから庭の雑草も伸び放題になっていて、衛生上、景観上良くないのですぐ雑草を駆除してくださいということでした。
なので、シルバー人材センターを県から紹介してもらい、もう退職されたおじいちゃんとかでしたが、庭木の剪定ができる方を雇って、年に3回ぐらいお願いしていました。
そうした費用を全部合わせて25年で1000万円くらいですね。
河田
空き家の管理には費用がかかりますよね。
松本さん
わたしも本当にびっくりしました。
空き家はもうあるだけでお金かかるんですよね。
それに、一年経つごとにどんどん価値が下がっていくっていうこともわかっていなかったんです。
600万かけてリフォームしても売れない!奇跡の出会いとは!?
お父様から託された実家を管理し続けた松本さん。
そんなとき東日本大震災が起き、いざという時の避難場所になるようにと、実家を600万円かけてリフォームしたそうです。
しかし、テレビ番組で実家を査定してもらった際、あまりの査定額の低さに愕然とすることになります。
そこから松本さんの「実家じまい」のための奮闘が始まります。
東日本大震災がきっかけで実家を600万円かけてリフォーム
河田
ご実家の管理に多額の費用もかかる中で、整理しようとは思われなかったのでしょうか?
松本さん
そうですね、管理を続けている間にどんどん年月が経ってしまい、私が41歳の時に母親が東京で他界したんです。
河田
お父様が松本さんにご実家を託して亡くなられてから、4年後ですね。
松本さん
はい、それでわたしも母親が亡くなったショックで、すぐ実家じまいとか片付けとかをする気持ちのエンジンがかかんなくて。
息子もまだ小学校一年生ぐらいで、子育てもありましたし、親子で東京で生活してくのが精一杯で、「そのうちいつかきっと」みたいな感じで実家の整理は後回しになってしまったんです。
河田
弊社に相談に来る方も、そうした感じで実家を整理するタイミングを逃してしまった方が多いので、お気持ちはとてもよくわかります。
松本さん
そんな時、2011年に東北で大震災があって。
東京も震度5強ぐらいに揺れて、その時にニュースで「関東もこれから30年以内に南海トラフ地震があるかもしれない」といった情報を聞いてすごく怖くなったんです。
河田
当時は色々な情報が流れましたよね。
松本さん
それで、「よし、何かあった時にはすぐ東京から避難して生活できるように、高松の実家をリフォームしよう」ということになったんです。
当時は移り住む気満々で、瓦屋根や壁のヒビ、台所の水道やトイレ、洗面所といった水回りを直しました。
カーテンも実家を建てた昭和47年に取り付けたままのカーテンだったので、衛生的にもよくないということで一新しました。
それと庭にボイラーみたいな設備があったんです。
父親が設置したもので、ボタン一つで全部屋、冷暖房暖が効くみたいなシステムで、憧れもあってつけたんだと思います。
ただ、その時にはその設備も機能せず、ただの鉄の塊になってしまっていたので撤去して、新たに部屋にエアコンを取り付けました。
リフォームは2度に分けておこない、合計で600万円ほどかかりました。
河田
東日本大震災をきっかけに、ご実家を整理するのではなく、リフォームして住む、という方へ気持ちが傾いたわけですね。
松本さん
はい、直している時は自分たちで住む気満々でした。
でも、直して綺麗にしても離れた場所に住んでいると、結局一回も住むことはなくて、「これは困ったなあ」っていう感じで、また時間が過ぎちゃったんです。
愕然!600万円かけてリフォームした実家の価値は200万円
松本さん
そんな中、ゲスト出演させていただく番組内でも空き家問題が取り上げるられることが多くなってきて、爆笑問題さんがやっていた『爆報フライデー』という番組内で、「実家じまいに密着させてもらえませんか?」というお話をいただいたんです。
そこで、一度専門家に実家を査定をしてもらうことにしたんです。
私の中では「1000万ぐらいの価値はあるだろう」と思っていました。
河田
リフォームに600万円かけたわけですしね。
松本さん
はい、それに父親は3000万円ほどかけてこの家を建ててローンも完済しているし、年月が経っているとしても1000万ぐらいの価値はあるだろうって思ったんです。
でも不動産屋から「日本家屋は25年を過ぎたあたりから建物の価値は0円になります」って言われて、「ええ!?」って感じで愕然としました。
で、土地の値段も高度成長期であればどんどん上がっていたみたいなのですが、「今は当時の値段より一坪の値段が1/10に下がってます」と言われてしまい、結果的にわたしの実家は土地の値段評価しかないということで、200万円でした。
想像よりかなり査定額が低く、「よし、これはもう手放すしかない」という思いが強くなりました。
河田
それがご実家を手放そうと思うきっかけだったんですね。
最初に相談に行った不動産屋に「200万円です」と言われて、金額が低いので他の不動産屋に相談しようとは思わなかったんですか?
松本さん
まず地元の不動産屋に相談したんですが、他に相談しようとはならなかったですね。
自分の中で、家の査定は車の査定と同じなんじゃないかと思っていて。
一回その値段で査定されたらそれがもう基本になってしまって、他に行っても変わんないんじゃないかって思ったんです。
譲渡・賃貸・活用…あらゆる方法を試すが実家を欲しいという人は現れず
河田
実家じまいをするにあたって、民泊利用とか、売却以外の方法は考えなかったのでしょうか?
松本さん
そうした方法も考えました。
香川にはたくさん親戚や従兄弟が今も住んでいるので、誰かタダでもいいから住んでくれる人がいないか聞いてみました。
でも、みんなもう持ち家があるから間に合っていますってことでした。
田舎は若い夫婦でも持ち家率が高いんです。
あとは、知り合いの讃岐うどん屋さんに改装して使ってもらえないか聞いて回りました。
ただ、それもどこも間に合ってますという返事でした。
河田
周りで利用してくれる人を見つけるのは難しいですよね。
松本さん
あとは、高齢者などのミーティングスペースとして自治体に使っていただくことも考えました。
でもそれも断られてしまいました。
賃貸として貸し出すことも考えて、実際「家賃1万5千円でどうでしょう?」といったお話もいただいたのですが、私としては「もう一声!」といった気持ちもあり、契約には結びつきませんでした。
更地にして売り出すことも考えたのですが、更地にするのに最低でも200万円かかると言われて。
それに更地にすると税金も上がるということなのでやめました。
河田
解体も費用がかかりますもんね。
弊社に相談に来るお客様の中でも解体しようにもお金がかかるのでどうしようもないという方が結構いらっしゃいます。
八方ふさがりの中、紹介された空き家バンク
松本さん
そんなとき、地元の不動産屋に相談したところ、「空き家バンク」の存在を教えてもらったんです。
自治体が運営するサイトに物件情報を載せられる空き家バンクであれば、広告などで買い手を募るよりたくさんの人に知ってもらえる可能性があるということでした。
そこで、実家の住所と築年数と間取り、外観や室内の写真を撮って載せてもらうことにしたんです。
でも、不動産屋には「10年20年載せていてもなかなか、売却に結びつく人は少ない」と釘を刺されました。
だから、ダメ元のつもりでした。
河田
期待せずに待っていた?
松本さん
そうですね。
期待せず申し込みだけして、やはり買手は現れず、時間だけが流れていきました。
でも、3ヶ月ぐらい経った時、たまたま、むちゃくちゃ奇跡的な出会いがあったんですよ!
ご主人の仕事の関係で香川から滋賀へ移り住んだ70代のご夫婦で、香川に知り合いや兄弟がいるので、ご主人の定年退職を機に、香川へのUターンを希望していらっしゃいました。
しかも、ちょうどわたしの実家があるエリアで空き家を探しておられたんです。
家の中を見てもらい、リフォーム済みですぐ住めるところを気に入っていただき、トントン拍子で売却が決まりました。
河田
リフォームをした甲斐がありましたね。
弊社のお客様の中にも、空き家バンクに登録してもなかなか売れないという方がいらっしゃるので、欲しいと言ってくれる人が現れて本当によかったです。
人生の一大イベント!売却に向けて1ヶ月で20トンのゴミを処分!
空き家バンクで買手との「奇跡的な出会い」を果たした松本さん。
しかしそこから実家を明け渡すには「大量の家財の処分」という大きな壁が待ち構えていました。
大変でも思い出の品は業者に任せず自分で仕分けたかった
河田
売却には家財道具を処分する必要があったんですよね?
松本さん
そうなんです、それがまた大変で。
購入後すぐ住みたいという話だったので、1ヶ月以内で部屋の中を空っぽにする必要がありました。
両親・兄・わたし、それぞれの荷物が室内にぎっしりある状態だったので、「これは大変だ!」ということで、時間を見つけては高松に帰って荷物の整理を行いました。
河田
どのくらい荷物があったのでしょうか?
松本さん
最終的に20tほどゴミが出て、2tトラックで12往復して処理しました。
費用は100万円かかりました。
大きな物でいうとダイニングテーブル、冷蔵庫、洗濯機。
それからソファー、テーブル、仏壇、ピアノ。
もうありとあらゆる粗大ゴミがあって。
その他にも布団や父親の背広、靴、ステレオ、祖母のミシン。
そうした細々したありとあらゆる物を全部処分しなきゃいけませんでした。
河田
業者に頼むということは考えなかったのでしょうか?
松本さん
業者さんにお願いして全部一掃してもらう手もありました。
でも、わたしの中では手間ひまかけても親が遺した物、家族の思い出の品を自分の目で確認して仕分けたかったんです。
「これはリサイクルするもの」「これはわたしが東京に持って帰るもの」「これは親戚にあげるもの」「これは残念ながらゴミとして処分するもの」といった感じで、全部仕分けていきました。
河田
具体的にどんなものを仕分けていったのでしょう?
松本さん
本当、色々です。
たとえばお人形さんも、なかなかゴミとして出すには心苦しくて。
なので、フランス人形も日本人形も全部顔が崩れないように梱包して、人形を供養してくれる兵庫のお寺に頼みました。
あと母親の着物も100着以上出てきて。
地元のスナックのママさんに引き取ってもらいました。
昭和のレコードもたくさん出てきて、東京まで持ち帰って、昭和のレコードを買い取ってくれる新宿のレコード店に持って行きました。
一枚一円とか、もうお金になるようなものはなかったですけどね。
河田
それは確かに1ヶ月かかりますね。
松本さん
あと、父親が大事に持ってたエロ本(苦笑)。
エロ本もね、東京の神保町に持っていって古本屋さんを回りましたけれど、本の価値って今ないんですよ。
官能小説みたいのは、一軒の古本屋のおじさんが「これは引き取ってあげるわ」みたいなこと言ってくれましたけれど。
残りはエログラビアを集めているみうらじゅんさんに持っていってもらったりとか色々しました。
あとはわたしのデビュー当時の番組を撮ってるビデオテープも何百本も出てきました。
ありがたい話ですけれど、VHSやベータなので今じゃ再生できないんですよ。
それをDVDに焼き直したりしてね、50万近くかかりました。
全部じゃないですけど、『電波少年』のやつとか、自分で取っておきたいなというものは全部残しました。
最後の1週間は泊まり込みで朝から晩まで実家の家財を片づけ続けた
河田
弊社も所有者様が置いていかれた荷物を整理をしなきゃいけない場面があるので、片付けがどれぐらいしんどいかわかるのですが、お一人でやられたんですか?
松本さん
いつも仕事でお願いしているドライバーさんの男の子と一緒に2人だけでやりました。
マネージャーに仕事を空けてもらい、最後の1週間は泊まり込みで朝の7時から夜の11時まで片付け続けました。
実家はゴミだらけで泊まれないので、近所の健康ランドに地元の婆ちゃん達と雑魚寝して。
もう大変でした(笑)。
河田
お兄さんが手伝ってくれたりとかいうのは・・?
松本さん
一切なしでした。
もう父親と同じで、「家のことはお前頼むわ。その代わり好きにしてくれていいから」ということで、遺言書通り、ノータッチでした。
河田
完全にじゃあ役割は良くも悪くも分担してくれていたという。
松本さん
そうなんですよ。
でも父親が家を買った時の土地や建物の書類は全部受け継いでいたので、そこら辺の手続きはスムーズでした。
河田
なるほど。
1ヶ月かけて家を整理し、無事引き渡しが済んだときどんな気持ちでしたか?
松本さん
やっぱり父親に遺言のように託された「実家を頼む」という言葉がずっと気になっていて、責任の重さやプレッシャーがありました。
売却が終わってからも「本当に良かったんかな。父親に悪いことしちゃったかな」っていう後悔の念もあったし。
一方で息子に同じ思いをさせたくなかったし、「お父さん許してくれるかな」っていう気持ちもあって、葛藤がありました。
でも今は本当にこれでよかったと思っています。
25年間、年月はかかってしまったけれど。
本当に今振り返ると「人生の一大イベント」をやり遂げたっていう充実感と開放感はありますね。
松本さんのように空き家に悩む人こそ「不動産買取業者」を頼って欲しい
冒頭でも述べたように弊社AlbaLinkは空き家などの訳あり物件の買取を専門的におこなっています。
そこで弊社は、ご実家の整理で苦労された松本さんに、弊社のような専門の不動産買取業者の必要性について、率直に尋ねてみました。
「実家の売却はわからないことだらけ」まるっと任せられると安心
河田
現在、弊社のような「空き家専門の不動産買取業者」が増え始めてきています。
当時、もしそうした会社があると知っていたらどうでしたか?
松本さん
いやもう、お願いしてました。
遺品整理を含め、空き家になってしまった実家をどうすればいいのか相談したかったです。
河田
具体的にそういう会社に求めることとか、どういうサービスがあったら当時、嬉しかったなっていうのはありますか?
松本さん
本当にもうどこに何を相談したらいいのかもわからない手探り状態だったので、本当に家のことや家財道具含めて何から何まで、まるっと相談できたら良かったです。
いざ売却ってなると色々わからないことが出てくるじゃないですか。
解体すべきなのかとか、登記のやり方とか、素人だとわからないですもん。
専門の業者がまるっと引き受けてくれたら助かったと思います。
河田
貴重なご意見ありがとうございます。
弊社もただ空き家を買い取るだけでなく、弁護士とも提携し、法律や書類のことなど、お客様をトータルサポートできる体制を取っています。
なので、空き家や実家の処分で困ったときの相談先として、弊社でもいいですし、他の業者でもいいのですが、とにかく選択肢は多く持っておいていただければと思います。
松本さん
そうですよね。
絶対早めに一報して欲しいです。
>>【相続した実家もそのまま買取可能】無料で買取査定を依頼する
「空き家が次の人に活用されるのは幸せ」。その橋渡しをできるのが買取業者
松本さん
実家に関しては父親の遺言に反しちゃったという想いもあるのですが、それでも仕事で香川に帰った時に、名義こそ変わりましたが、取り壊すことなく実家が今もあるのは良かったなと思って。
実家の前の道を通るたび、実家が今も存在していて、活用してくれてる人がいるっていうことは本当幸せだなと思います。
河田
それが一番いいですよね。
売り手と買い手、まさにこのマッチングこそ弊社がやっていくことだと思っています。
弊社は創業以来、ネットを使った売り手と買い手のマッチングに力を入れてきました。
なので、買取の依頼をいただいたらすぐにネット上で「このエリアでこういう物件を探している人がいる」という情報がわかるんです。
そうした弊社の強みを活かして、一軒でも多く空き家を売りたい人と買いたい人の橋渡しをしたいです。
そうすれば、空き家の命も長くなると思うんです。
松本さん
空き家を求めてる人はいっぱいいると思うんです。
昔は本当に、勤めているところに自分の家が紐づけられていて、会社に通えるところに家を準備するっているのが普通でしたけど、今や本当にパソコンさえあればどこでも仕事ができる時代ですから。
ワーケーションもできるし民泊もできる、外国人の方も若い世代も、都会からローカルに移り住みたいっていう人もいますし、そういう方にどんどん空き家を活用して欲しいですね。
空き家は持っていても困るだけなので、所有する目的がなければなるべく早くプロの買取業者さんなどに託した方が心も軽くなるし幸せだと思います。
河田
なるほど、ありがとうございます。
弊社も日々空き家はいっぱい見てきているんですが、空き家って放置すればするほど、どんどん状態が悪くなってしまうんですよね。
悩んでいる方はご一報いただければと思います。
松本さん
本当にね。
もうまずは専門の業者さんに一報していただいて、そうすれば解決への道も見つかると思うので、そうしていただきたいと思いますね。
松本さんからのメッセージ。「実家じまい」は親の生前から始める
様々な困難を乗り越え、実家の空き家整理を終えられた松本さんから、今、空き家で悩んでいる方や、これから実家じまいを考えている方へ向けて、アドバイスをいただきました。
実家じまいの初めの一歩は「家族で話し合うこと」
河田
今回、松本さんのご実家の空き家整理についてお話をうかがってきましたが、ご経験を踏まえ、空き家整理のポイントや、こうしておけば良かったという点があれば教えてください。
松本さん
いやもう、これはなかなか言い出しにくい話題ではありますけど、実家をどうするか早めに家族で話し合えるといいですね。
両親に「この家どうする?」なんて聞くと「そんな縁起でもないこと言うなよ」っていう感じで、機嫌を悪くされてしまうかもしれないですけど、「将来欲しい人が現れたら譲ってもいいかな?」とかやんわり話してみるとか。
私も早く両親に相談しとけばよかったなっていうふうに思いました。
河田
両親が元気なうちから話し合っておくということですね。
松本さん
そうですね。
「実家どうする?どうしたらいいと思う?」とかね、そういうことを話しておけばよかったなっていうのは思いますね。
河田
ただ、そこで松本さんがお父様に言われたように「ずっと持っていてくれ」なんて言われてしまうとそれはそれで困りますよね。
松本さん
そうですね(苦笑)。
だからそこも自分の考えを伝えながら、説得できるところは説得し、戦わなきゃいけないですよね。
そのためにも早めに話し合っておくのがいいなと思います。
実家に残る思い出の品は取捨選択して心の整理をつける
河田
松本さんのように、親から実家を託され、思い出の品などもあり、処分の踏ん切りがつかない方もいるかと思います。
そうした方へ何かアドバイスはありますか?
松本さん
家財道具とか荷物の整理も両親が生きているうちから、コツコツ一緒にやっておけば良かったなって思いましたね。
思い出の品も抜粋して、たとえば両親の写真だったら「これだけは残しておきたい」っていうのを選んで残しておく、という感じですかね。
河田
弊社もこの仕事をしていると、思い出の部分にというのはすごく重要だなと思っていて。
空き家といっても、所有者様の思い出があったりするので、できる限り活用できる方法を探したいとは常々思っています。
まとめ
今回は松本明子さんからご実家の空き家を整理したご経験を伺いました。
松本さんのお話からも明らかになったように、空き家となった実家を管理するのは費用も手間もかかり、相続した方の大きな負担となります。
一方で、松本さん自身もそこで悩まれたように、負担に感じつつも「親に託された」という責任から売却に踏み切れない方も多くいらっしゃいます。
ただ、あなたが空き家を整理しないと、子どもや孫が同じ苦労をすることになります。
また、空き家は所有し続けるほど、資産価値が落ちていってしまいます。
松本さんが実家の整理を決心したのも、実家の査定額のあまりの低さに驚いたことがきっかけでした。
ですから、使用しない空き家を所有している場合は、早めに売却することをお勧めします。
空き家は通常の不動産業者(不動産仲介業者)に依頼しても売れにくい傾向にありますが、空き家専門の不動産買取業者に依頼すればスムーズに売却できます。
今回インタビューをおこなったAlbaLinkも売れない空き家専門の買取業者なので、松本さんと同じような悩みを抱えている方のお力になります。